ホワイトデーのはじまり [風習]
日本のバレンタインデーのはじまりは、2月12日の記事に書いた通りでした。
では、ホワイトデーのはじまりはどうだったのでしょうか。
キリスト教では、バレンタインデーに男女がプレゼントを贈り合いますが、
日本では女性が一方的に贈るもの。(男性が贈る「逆チョコ」も話題にあがり始めましたね。)
ホワイトデーは、日本特有のバレンタインの風習から波及し、作られたイベントです。
日本に影響を受けた韓国や台湾にも、最近は似たイベントがあるそうです。
実はこのホワイトデー、由来となる説が2つあります。
・石村萬盛堂 マシュマロ説
博多の石村萬盛堂は、マシュマロの中に黄身餡を入れた土産菓子「鶴乃子」を
製造販売する和菓子の老舗。 公式サイトには、
『ホワイトデーは、約三十年前に福岡の和菓子の老舗“石村萬盛堂”が発案した記念日です。』と書かれています。
マシュマロの中にチョコレートを入れた「チョコマシュマロ」を作り、
「バレンタインデーのお返しにマシュマロを」という「マシュマロデー」を発案。
やがてマシュマロの白から「ホワイトデー」という名前に変化し、定着したという説です。
・全国飴菓子工業協同組合 キャンディ説
全国飴菓子工業協同組合ホワイトデー委員会は、「ホワイトデー公式サイト」を開設。
『ホワイトデーは、当「全国飴菓子工業協同組合」の発案により、1980年にスタートしました。』と書かれています。 石村萬盛堂の言う「三十年前=1980年」ですね。
こちらの主張は、飴の材料である砂糖の白から「ホワイトデー」と命名、定着したというもの。
一般消費者にとっては、どちらでも構いません、お好きにどうぞ、といったところでしょうか…。
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日本のバレンタインのはじまり [風習]
日本特有の女性が男性にチョコレートを贈って告白する風習。 この起源は?
・バレンタインチョコの最も古い記録
1936年、神戸モロゾフ洋菓子店が英字新聞に出したバレンタインチョコレートの広告です。
しかし、時はそのまま流れました。
・チョコレート会社のアイデア
「少女の横顔のシルエット」をシンボルとするメリーチョコレート社。
ここでアルバイトをしていた前社長が、パリ在住の商社マンから絵葉書を受け取りました。
絵葉書には、男女が贈り物をし合うパリのバレンタインの習慣が書かれていました。
前社長はこれをヒントに、「バレンタインにチョコレートを」というアイデアを思いつきます。
1958年、「バレンタインセール」と銘打ち、新宿の伊勢丹で板チョコを販売。
しかし、3日間で板チョコ3枚・メッセージカード1枚という惨憺たる結果に終わります。
それでも懲りずに、メリーチョコレート社は毎年バレンタインセールを企画。
買い物に来た女性に、「男性へチョコレートを送りましょう」と呼びかけました。
チョコレートには贈る人と相手の名前を彫るサービスも始め、
「年に一度、女性から男性に愛の告白を」というキャッチコピーまで考えました。
すぐには広まらなかったものの、やがて女性週刊誌などの目に留まり、
チョコレートの消費量増加とともに、全国に広がって行ったのです。
☆パリなどキリスト教徒のバレンタインの風習については
2010/02/12 バレンタインデーの起源 2/2を参照。
バレンタインデーの起源 2/2 [風習]
ローマ時代のローマには、何百年も続く「ルペルカーリア」という祭がありました。
2月14日は家庭と結婚の女神ユノーの祝日であり、ルペルカーリアの前日。
2月15日からは豊穣の神ルペルクスを祀り、豊穣や多産を祈っていました。
14日の夕方には、未婚の女性たちが名前を書いた紙を壷に入れ、
翌日、未婚の男性が紙をひき、祭の間その女性と一緒に過ごします。
若い男女は別々に暮らしていた時代です。多くの者がそのまま恋に落ちました。
しかし496年、ローマ教皇ゲラシウス一世は「若者の風紀が乱れる」としてこの祭を禁止。
約200年前の2月14日に殉教した聖人バレンチノを守護聖人とする祭に変えました。
キリスト教の普及前から続いていた祭です。 祀られていたルペルクスやユノーは
ローマ神話の神であり、キリスト教にとっては異教の神。
愛の祭の内容をローマ教皇が変えたのには、こういった背景もあったのでしょう。
男女は、この聖バレンチノの日に互いにカードや花などを贈り合うようになりました。
これがキリスト教徒の間に広がっていったのです。
☆聖人バレンチノについては2010/02/11 バレンタインデーの起源 1/2を参照。
バレンタインデーの起源 1/2 [風習]
バレンタインデーはどのようにして始まったのでしょうか?
まずは、キリスト教の行事としてのバレンタインデーからまとめてみます。
バレンタインデーの正式な名称は「St. Valentine's Day」。
日本語に訳すと、聖バレンタインの日。 バレンタインは聖人の名前です。
(バレンタインは英語読み。イタリア語ではバレンチノ。)
時は3世紀のローマ時代にまでさかのぼります。
皇帝クラウディス2世は、若者が戦争に出たがらず、戦意に支障を来すとして、
とうとう結婚を禁じてしまいました。
イタリア中部のとある町のキリスト教司祭バレンチノは、
かわいそうな兵士達を見かね、内緒で結婚をさせていました。
この行為が皇帝に知られ、バレンチノは投獄。
キリスト教は迫害されていた時代です。 バレンチノは改宗を求められましたが拒否。
西暦270年2月14日、処刑されました。
キリスト教はこの後に普及。 死者をとても大切にするキリスト教では、
特に立派な生涯を送った人は聖人と言われ、バレンチノも聖人とされたのです。
恵方巻きの本当の起源 [風習]
節分に食べるとされる「恵方巻き」の由来は何なのでしょう?
恵方巻きの起源には幾つかの説があり、定かではありません。
商売繁盛祈願という説、豊臣秀吉の家臣堀尾吉晴がこの日に食べたという説など。
そして実は、男性客を呼び込んで商売繁盛を願う、芸者や遊女と旦那衆の風習だった、
という説も有り、有力な説とされています。
しかし、この説が広まると女性が太巻きの丸かぶりを嫌がり、子供にも話せないため、
触れてはいけない話題として隠されてきたともいいます。
どの説だったとしても、古来からの風習ではない上に、既に廃れていたのは確かです。
1973年、大阪海苔問屋協同組合がこの風習を販売促進イベントとして復活させ、
寿司の売れない2月に大々的なキャンペーンを行い、徐々に関西地方に広がりました。
その後、各種スーパーやコンビニなども販売促進に採用し、全国に広がりつつあります。
恵方巻きは起源自体があやふやで厳格さも無かったため、
様々なめでたい「いわれ」等が後から付け加えられていったようです。
☆食べ方や恵方については2010/01/28「恵方巻きの食べ方」を参照。
「祝い箸」のいわれ [風習]
お正月に使われる「祝い箸」。 両端が細いのはなぜ?
・年神様(としがみさま)
正月は年神様をお迎えするまつりで、門松や鏡餅などの正月飾りはそのためのもの。
年神様は家々に実りと生命力をもたらす来方神であり、祖先であるともいわれます。
・神人共食(しんじんきょうしょく)
神様と一緒に、神様と同じものを食べる習わしを、神人共食といいます。
祝い箸は「両口箸」ともいい、一方は年神様が、もう一方は人が使うための形。
中ほどが太くなっているので、五穀豊穣と子孫繁栄をあらわす形ともいわれます。
・霊木
箸に使われるのは、霊木とされる柳の白木。
香りがよく、水分が多くて丈夫で折れにくく、薬木で長寿をもたらし、縁起がよいとされ、
「清浄と神聖を表し、邪気を祓い、長寿をもたらしてくれる」ともいわれます。
水引がついた箸袋におさめ、家族銘々の名前を書き、三日間使うのが習わしです。